イギリスの上空を真っ黒な大型馬車は飛行していた。
黒いのは馬車だけでない。それを操る御者や四頭の馬までもが全身黒ずくめであった。
中には黒っぽい旅行着をまとった美しい女伯爵とその姪、料理人(シリウスの妹)が座っていた。
シリウスの妹は大きなカサブランカの花束を腕に抱えたまま、じっとうつむいていた。
女伯爵のミナは窓にかかる黒いカーテンを少しだけめくりあげ、追っ手が尾行してきていないか目をこらして見た。
姪の
はもうすぐ、友達やシリウス、ルーピン、ウィ―ズリ―一家、その他の人々に会えるので期待と不安をふくらませたまま、
うとうととここちよい馬車に揺られ、船をこいでいた。
真っ赤な目を血走らせて四頭の汗血馬はいななきを上げ、疾駆している。
黒ずくめの御者は絶えず辺りを見渡し、安全確認を行うともっと早く進むよう、馬にきつく一鞭くれてやった。
トライ・ウィザードで がヴォルデモートに殺されかけてからというもの、ミナはかなり神経が高ぶり、杖を必ず片手に構え
ヴォルデモートやデス・イーターの残党が襲ってくれば、自分の全てを投げ捨ててでも一戦を交える覚悟をしていた。
それどころか彼女はダンブルドアが新たに組織し直した不死鳥の騎士団に自ら、進んで加わった。
旧知の仲のルーピン、シリウス、スネイプがかなりの危険が伴うのでやめるよう忠告したのにもかかわらずだ。
彼女は学期終了後、すぐにその準備にとりかかった。
不死鳥の騎士団本部に
、そしてその侍女を移す事。
詳しい経緯を二人に説明するとミナは二人に荷造りさせ、城に古くから仕える腕のいい無口な御者と健脚な四頭の汗血馬に頑丈な
大型馬車を用意させ、ルーマニアを慌しく出発し、最短ルートを通って本部のあるイギリスへと向かったのだった。
とにかく四六時中、
を誰かの目の届く場所へ置かなければ。
もう、私一人では守りきれない危険な状態へ突入している。
少なくとも本部には自分が弟のように可愛がっているルーピンやシリウス、無愛想で陰険なスネイプ、元闇払い、マッド・アイ・ムーディ
などの有能な人間が常駐している。
あそこに次の学期が始まるまで、
を預けておけば安全だ。
ミナにはそういう考えがあった。
そうこうしているうちに馬車はビック・ベンー国会議事堂ーバッキンガム宮殿の上空を通過し、その後地上に下降してロンドン郊外の
閑静な住宅地ーグリモールド・プレイスに向かった。
カッカッカッ・・・馬車はスーッと滑るように大きな古く傷んだ扉の前に停車した。
御者は乗馬用鞭を下ろすと、御者席から素早く降りてきて中の女達のために馬車の扉を開けてやった。
それから御者は磨り減った石段を上り、黒くみすぼらしい扉に取り付けてある、銀の蛇の口に下がっていた大きな輪を持ち上げて鼻の上へひっくり返して音を立てた。
どうやら訪問客用のドア・ノッカーらしい。
御者はもう一回、ノッカーをひっくり返した。
誰かが出てくる気配はない。
「誰もいないのか?レディ・ブラドとレディ・
がご到着だ!!」
御者はノッカーを再び、ひっくり返し鍵穴の中に大声で喚いた。
それでも返事がないので御者はムッとしてドアを両手で押した。
御者は敷居をまたぎ、真っ暗闇のただっぴろい(床は大理石張りだ)円形の玄関ホールへと足を踏み入れた。
女達もその後に続いた。
「穢らわしい屑ども〜〜〜〜塵芥の輩〜〜〜〜〜雑種〜〜〜異形〜〜〜出来損ない〜〜〜ここから立ち去れぇ〜〜〜〜〜
わが祖先の館をよくも〜よくも汚してく〜〜れ〜〜た〜〜〜〜な〜〜〜!!」
「黙れ、黙れ、この糞婆!!黙るんだ!!」
「こぃつぅうううううううううううう!!」
「血を裏切る者よ。忌まわしや。我が一族の恥さらし!!」
「聞こえなかったのか?だー―――まーーーーーれーーーーーー!!!」
玄関ホールではルーピン、シリウスがバタバタと走り回って甲高い声で喚き散らす肖像画に杖で失神術を
かけまくっていた。
シリウスは一枚の汚らしい老女の肖像画に向かって憎憎しげに吼えていた。
「おい!!」
「おい!!」
御者は大声で再び呼びかけた。
「あっ!」
ようやくシリウスがその声に気づいた。
「どうした?シリウス。あっ!」
ルーピンも気づいた。
「ようやく気づいたようだな。」
御者は腕組みをして二人を黒い山高帽の下からギロリと睨んだ。
「ま〜〜た〜〜我が祖先の館に吸血鬼、それに雑種なるものが敷居をまたいだ〜〜許せん、今すぐ立ち去れ〜
我が館を汚しよって〜〜〜〜!!!」
「おい!糞婆!!それ以上言うとぶっ殺すぞ!!」
シリウスが杖を振り上げ、勢いよくキャンバス画めがけて失神光線を放った。
それからルーピンと二人がかりの金剛力で、やっと肖像画にかかる黒いカーテンを元のように閉じた。
老女の叫びが消え、シーンと沈黙が戻ってきた。
「すまないなーミナ。こんな見苦しい状態で迎えねばならないとはな。」
少し息を弾ませ、長い黒髪をサッと手でかきあげてシリウスが彼女らに近づいた。
「構わないわ。久しぶりね。元気?少し痩せたんじゃないの?学生の時と比べて。」
「そんなことないよ・・ハハッ・・あいかわらず綺麗だな。ミナ。年月は少しも君を衰えさせないようだ。また会えて嬉しい。」
二人は嬉しそうにお互いに軽く抱擁しあった。
「
!
!遂にここへ来てくれるとはな!」
シリウスはそれからわき目もふらずにミナの隣りにいた彼女に嬉しそうに抱きついた。
「ちょ、ちょっと・・シリウス・・」
は皆の前で急に抱きつかれて、恥ずかしいやらなんやらでとまどってしまった。
「エヘン!エヘン!」
ルーピンがすかさず咳払いをした。
「あ、ああーー紹介しなくちゃ。連れてきたわよ。あなたの妹を」
ミナがルーピンの咳払いにビクッとしてカサブランカの花束を腕に抱えたまま突っ立っている、侍女を前に引き出した。
「ご、ご挨拶しますーはじめまして。お兄さん」
彼女は軽く腰を折った。
「ジェニファー」シリウスは真っ直ぐに彼女を見つめた。
「あの・・ジェーンと呼んで下さい」
「そうか・・君がジェーンなのか・・・。」
シリウスは信じられない面持ちで、そっと彼女の両腕をつかんだ。
「ほんとうに私の妹なんだな・・・」
シリウスの手が震えた。目はしみた。
「はい・・」
ジェ―ンの目からも涙が零れ落ちた。
「そうか・・そうなんだな・・・」
シリウスは強く彼女の両腕をつかんだ。
「すまない・・私はあの手紙が来るまで君のことを何一つ知らなかった。許してくれ・・ほんとうにすまない・・ああ・・
それにお尋ね者だということも・・君の顔に泥を塗ることをしてしまった。」
シリウスの目から一滴、また一滴と涙が頬を伝って流れた。
「お兄さん・・」
ジェーンがワアッと泣き出した。
「すまない・・私を許してくれ・・兄としてほんとうにすまないことをした・・」
彼の声がかすれた。
「いいんです!!」
ジェーンはこらえきれなくなって首を横に振った。
「いいんです・・ヒック・・生きててくれただけで!!ウウッ・・会えただけで嬉しいんです・・」
彼女は激しく泣き出した。
シリウスもワァーっと男泣きに泣いた。
「こんな兄ですまない・・・」
「会えただけで・・・」
後の部分はくぐもって周囲の人間にはよく聞こえなかった。
いつのまにか御者はホールから姿を消していた。
二人は大泣きしながら、お互いに力強く、もう離すまいと抱きしめた。
「ジェーン。もう君は一人じゃない。これからはずっと私が一緒だ。」
「お兄さん・・ウウッ、ウウッ。ありがとう。お兄さん・・ほんとうに会えてよかった・・・」
シリウスは彼女の腕にしがみつき、ジェーンは彼の肩に頭をもたせかけて激しく泣いた。
「よかった・・ほんとうによかったわね。家族に会えて」
ミナはハンカチで目元を抑えていた。
はシリウス、ジェーンを交互に見比べてにっこりと微笑んだ。
(ようやく彼らは帰るべき場所へと戻ったんだ・・)
「さあ・・ここで立ち話もなんだから・・とりあえず寝室に案内するよ。長旅で疲れただろう?
あ、
。トランクを運ぼうか。」
「皆は?」
ルーピンが杖で軽々とトランクを浮かすのを見ながら彼女は聞いた。
「食堂で夕食の準備さ。大丈夫。長くかかりそうだからご婦人方は落ち着いてから降りてくればいいよ」
彼はスカートの裾を摘み上げ、埃がつかないように暗い階段を上る女性たちににっこりと微笑みかけた。
シリウスは階段を上る時、サッと隣りを歩くジェーンに右手を差し出した。
彼女は一瞬「えっ?」という顔をし、少しうつむいたが、兄の向けてくれた心からの笑顔に嬉しくなりそっと彼の手を握った。
後ろを振り返った
とルーピンはその微笑ましい光景に思わず笑みがこぼれた。
「着いたよ―右がハリー、ロン、フレッド達の部屋さーえーと
はどうする?左がハーマイオニ―、ジニ―の部屋だけど」
ルーピンはトランクを下に置き、少し言葉に詰まった。
「あなたは
が雑魚寝に慣れてないとでも言いたいのでしょう?」
ミナが代弁してやった。
「いや・・そうじゃないけど」ルーピンが口ごもった。
「大丈夫よ。先生。ジニーやハーマイオニ―と一緒でも」
そういうと
は彼の手からトランクを取り上げ、いそいそと左の女の子達の部屋へと入れた。
「じゃあ、ミナは?」
ルーピンが聞いた。
「私はどこでもいいわ」
「ジェーン、君はどうする?」
シリウスが聞いた。
「私は奥様と一緒の部屋で」
ジェーンは言った。
「そう、じゃあ。この部屋ね」
ルーピンはてきぱきと希望を聞き、部屋割りを決めていった。
「ではごゆっくり」
ルーピン、シリウスはそういうと階下に連れ立って下りていった。
そのころ地下の厨房では慌しく包丁が、ウィ―ズリ―氏の指揮下で勝手に肉や野菜を切り刻んでいた。
ウィ―ズリ―夫人は火にかけた大鍋をかき回し、他の皆は皿やゴブレット、出来上がった食べ物などを運んでいた。
「来たぞ!」
地下の大食堂の扉が開き、シリウスが嬉しそうに叫んだ。
「え?来たって?まさか
が!?」
ハリーがガタリと食堂の椅子からはじかれたように立ち上がった。
「そうだよ。その
だよ」
ルーピンがハリーの側に近づいてきて微笑んだ。
「おい、おい、起きろダング!!」
シリウスが大テーブルの上に突っ伏してグーグー寝ているボロをまとった男を起こした。
「んぁ?ダンかおれの名前を呼んだか?」
その男は眠そうにぼそぼそ言った。
「ああ、呼んだとも!起きろ!マンダンガス・フレッチャ―!!女伯爵とその姪、それから俺の妹がおつきになったんだ!」
シリウスはその男の耳元で茶化して言った。
「はぁ?」
マンダンガスは赤茶けたくしゃくしゃの髪をかきむしった。
「ほー着ぃたんかぁ・・んで?どこにいるんだ?」
マンダンガスは目をこらして辺りを見た。
「これからここにやってくる!だからダング。そろそろ起きてシャキッとしてくれ!それからタバコはよしたほうがいい。
嫌がるかもしれないからな。」
シリウスは彼の肩をポンと軽く叩くとハリーの側へ行った。
「妹さんやブラド夫人も来たの?」
ハリーが興奮して聞いた。
「ああ・・妹は俺にそっくりだ。特に目がな。一目見ればすぐ分かる!」
シリウスはにやりと笑った。
「今夜はずいぶんとにぎやかになるなあ」
ルーピンがハリーの髪をくしゃっとなでながら言った。
ガンガラガッシャ―ン!!
ガン!!
グサッ!
「おおっと危ない・・」
シリウスが言った。
「フレッド!ジョージ!おやめっ!普通に運びなさい!!」
厨房からウィ―ズリ―夫人の悲鳴が飛んできた。フレッド、ジョージが木製のパン切り板、シチューの大鍋、バタービールの広口ジャー、ナイフを
テーブル目掛けて一緒くたに飛ばしたのだ。
「まったくもう!!お前達!魔法を使っていいからってなんでもかんでも杖を振るんじゃないの!」
ウィ―ズリ―夫人が叫んだ。
「あいよ!僕達ちょいと時間を節約したんだよ。ゴメンよシリウス。わざとじゃないぜ」
フレッド&ジョージはがってんしょうちのすけで、にやりと笑い、テーブルに突き刺さったナイフを抜いた。
ルーピンはちょっと顔をしかめたが、ハリーもシリウスも笑った。
「ちょっと待って!フレッド、ジョージ!」
厨房に戻ろうとする二人をハリーは引きとめた。
「
が到着したよ。今、上の部屋で休んでるらしいんだ」
ハリーはにやりと笑った。
「何?姫が到着なされた??イヤッホウ!やっと来られたぞ!!」
そういうと双子は嬉しさの余り厨房にひとっとびで駆け込んだ。
どうやら中でウィ―ズリ―氏や夫人、ロン、ハーマイオニ―、ジニ―、トンクスに報告しているらしい。
「ああ、ハリーこんなに嬉しいことはない・・君に,私の妹、
、ミナがこの家に来たんだからな。
記念すべき祝日だ。」
そういうとシリウスはテーブルに置かれたバター・ビールの広口ジャーを傾け、グラスにビールを注ぎ始めた。
「私の妹は・・深い事情があって長い間私と離れていた。彼女は今日まで
の家にいた。
ミナが彼女の面倒を見てくれてね。幸せに暮らしている。」
シリウスはグイッとビールを飲み干した。
「そうか・・シリウスは今までアズカバンにいたんだったね。だから妹さんに会えなかったんだ」
ハリーはこれであの時、シリウスが意味ありげに
に目配せした理由が分かったようだった。
「あ、でも、なぜ、妹さんは彼女の家にいるの?あ、ゴメン、プライベートのことだな。聞いてはいけなかった?」
ハリーはふと感じた疑問をシリウスにぶつけてみた。
「いや・・ハリー。君には話してもいいが、話せば長くなる。彼女は私とは異父兄妹だ。彼女はアメリカーラスベガスで生まれた。
そして私とは別々に育った。親愛なるお母上は家族にこのことを隠し続けた。そのおかげで私はつい最近まで妹がいるという事実さえ知らなかっ
たのだ。」
シリウスはそこで悲しそうにビールをもう一口注いだ。
「彼女はラスベガスで何年か暮らしたあと、里親に連れられてハンガリーへと移った。その後、彼女が成人する前に里親が亡くなり,彼女は仕事を探し
にブダベストへ出てきた。そこでミナと出会い、城へ住み込みで働くことになったってわけさ。ここまでが私の知った内容だ。
だが、これでも何点か消滅された点がある。あのお母上のことだ。自分に不利な情報網をことごとく叩き切ったのだろう。つくづく
哀れな女だ」
シリウスはビールをグイッと一気に飲み干した。
ハリーとルーピンは思った。哀れなのは母親ではない。
それは、自分たちの目の前にいるかつて親友に死なれ、友と思っていた者に裏切られ、恋に破れ、家族と引き裂かれた挙句の果てにアズカバン送
りにされたこの男なのだということを。